人材コンサルタントがクライアントに怒られて感じた今の日本の違和感
こんばんは。
ちょこです。
今日はいつものドライブと打って変わり、ビジネスの話を少しできたらなと
思います。
今日はクライアントのクレームにて、訪問してきました。
担当者が非常に芯のある方で、考えさせられるお話をいただいたので、
今日はそれについて書いてみたいなと思います。
①自分のやったことが場合によっては会社を潰すことに。
人材コンサルタントとして、企業の人材の課題解決に取り組む仕事をしております。
課題解決のために投入した人材が、あまりにもよくない人だと、
周囲への迷惑や疲弊を生み出し、全員が転職を考え出すようになる。
そうすると会社が潰れる。
このサイクルが場合によっては発生するのではないかというのをひしひしと
感じるところがありました。
②小学4年生の女の子は生きられなかったのか
虐待死した子のニュースが今メディアでは話題になっていますね。
個人的に老人や子供など、社会的弱者のようなポジションの人が虐げられる
話を聞くと非常に胸が痛くなります。
今回、行政は女の子がSOSを出したのに最終的に死にいたる事になったという事で、
課題の解決は仕切れなかったということが言えると思います。
ただ、行政としては求められる最低限の仕事はしたのではないかなと思います。
③ハラスメントが横行している
セクハラから始まり、パワハラやモラハラ、最終的にはハラハラというのまで
出てきましたね。
確かに、これまでハラスメントを受けた事により、泣き寝入りした人や、
心身を壊してしまった人がいます。
そういった方がいたからこそ、同じような被害から人々を守る意味で
ハラスメントに対する処罰が厳しくなったのでしょう。
この3点から何が言えるのか。
プロフェッショナルと強さの欠如かなと自身の中で一つの結論が出ました。
仕事について、最低限のことをやれば社会は回るっちゃ回ります。
営業も、目標を達成すれば会社から評価もされます。
役所仕事も、最低限やるべきことをやれば、その後問題が起きなければ特に
咎められることもないでしょう。
ここで論点となるのが、顧客思考だと思います。
売り上げをあげればお金は買った人からもらえるし、自分にも入ってきます。
今回僕が思ったのは、そのお金が動いた先にどのような未来があるかです。
顧客が喜ぶのか、はたまた苦情を言いたくなるのかは、いかに課題解決に至ったかに
寄ると思います。
こと今回の小学生の死についても、働きかけによっては解決できる可能性もあったのではないかと思います。
この2点に共通するのは、当事者意識とも言えるのではないでしょうか。
最低限やれば大丈夫な状態が、当事者意識の欠如を生み出す一つの要因にも
なっているのではないかなと思いました。
これは僕も改めて反省しなければならないところです。
そして③を提起した理由としては、ハラスメントというのが生まれる社会的な状況が
当事者意識を弱めている一因になっているのではないかと思ったからです。
ハラスメントは上記でお伝えした通り、これまで辛い思いをしてきた人がいた
からこそ、未来の被害者を守るルールとして確立したのでしょう。
このことから言えることは、守るばかりで強くなる・強くする制度づくりは
できないのかなということです。
よくクレーマーという言葉を耳にしますが、やれ労働基準法だパワハラだ
みたいな、弱者を守る法律を振りかざす風潮がある気がします。
ここで、戦う、立ち向かうという制度やルールを作れば、また人々の考え方も
変わっていくのではないかなと思います。
守られるということは、いつまでも弱いままで居続けるようなものです。
そうすると、最低限でいいやみたいな、仕事への打ち込み方をする人が増えるのではないかなと思います。
プロフェッショナルになるまでには、努力や苦労、なってからも努力や苦労と、
決して楽な生き方ではなくなります。強くないと成し遂げられません。
ただ、それを通して、社会はよりよく、豊かさというのも芽生えるのではないかなと思います。
この考えを、車を通して人々に伝えられないだろうか。
日々模索するところであります。